アンティバース、アウターリム

好きな作品や好きなスタジオについて書けたらいいなと思ってます

MCUマラソン日記全集:Endgame Studies

Endgame Studies

 

(ほぼ)毎日更新!を目標にしつつ3日に1回だったりした『アベンジャーズ/エンドゲーム』公開記念に公開日までに毎日MCUを観て毎日書いてマーベルスタジオズのこの11年の足跡を辿る試み、『Endgame Study』の全記事リストです。数本のリンクの下にある余談ONE SHOTはその記事に収録されてるコラム的なもののタイトルです。

 

 

序文

Before we get started?: Endgame Study

 

フェーズ1

Endgame Study 01: AC/DC、スーパーカー、パワードスーツ、『アイアンマン』

 -余談 One Shot: S.H.I.E.L.Dの呼称について

Endgame Study 02: もっとこの緑を見てくれ『インクレディブル・ハルク』

Endgame Study 03:フューチャリストの誕生『アイアンマン2』

 -余談ONE SHOT: ここにもフューチャリスト

Endgame Study 04: オー・マイ・ゴッド『マイティ・ソー』

Endgame Study 05:我らのアイドル『キャプテン・アメリカ/ ザ・ファースト・アベンジャー』

Endgame Study 06: アッセンブル!!!『アベンジャーズ』

 -余談ONE SHOT: MCUはいつから「マーベル・シネマティック・ユニバース」と名乗り、呼ばれはじめたのか

 

フェーズ2

Endgame Study 07: シルバーセンチュリオンが好きです『アイアンマン3』

Endgame Study 08: 楽しさ惑星直列級『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』

 -余談ONE SHOT: マーベルスタジオズの、ディレクションに対するディレクション

Endgame Study 09: 紛れもないマスターピース『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』

Endgame Study 10: エモいやつら『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』

Endgame Study 11: You Rise, Only To Fall,『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』

Endgame Study 12: ワンダーさとミニマルさ『アントマン』

 

フェーズ3

Endgame Study 13: 破壊の脱構築『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』

  -余談ONE SHOT:マーベルスタジオズ/シビル・ウォー

Endgame Study 14: 既存世界の脱却『ドクター・ストレンジ』

Endgame Study 15: やさしい映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Vol.2』

Endgame Study 16: 少年は高みを目指す『スパイダーマン:ホームカミング』

Endgame Study 17: そして、王になる『マイティ・ソー/ラグナロク』

Endgame Study 18: 世界を変える『ブラックパンサー』

Endgame Study 19:We don't trade lives.『アントマン&ワスプ』

Endgame Study 20: 抑圧へのファイトソング『キャプテン・マーベル』

 -余談ONE SHOT: まぼろしの『エンドゲーム』直前作

Endgame Study 21: We're in the...『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』

 

 

 

and Finally,The Endgame

 

 

 

 

喪失のマルチバース:マーベル・シネマティック・ユニバース フェーズ4

マルチバースは実在する?」

───ピーター・パーカー(スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム)

 

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無限のかなた

 

度重なる延期。幾度もの公開スケジュールの変更。

『エンドゲーム』での時間的空白が現実に表出するかのように、

2020年の空白期間を経て、

2021年1月、ディズニー+にて『ワンダヴィジョン』が配信開始。

コロナ禍による映画館興行の延期の煽りを受け、本来その嚆矢を担うはずだった『ブラック・ウィドウ』から入れ替わり、『ワンダヴィジョン』が、

マーベル・シネマティック・ユニバースのフェーズ4の封を切った。

そして、2022年11月。

1年10ヵ月のうちに怒涛の17本発表の勢いをそのままに、

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』をもって、しかしてしめやかに

その幕は閉じられた。

 

MCU フェーズ4、その物語は端的に言ってしまえば、

『エンドゲーム』のその後、あるいは大きな喪失体験を経た後、どうすればいいのか?という迷いだ。

 

新ヒーローと世代交代を謳いつつ、マルチバースという大きな概念がいよいよスクリーンに登場しながらも、物語の大きな骨身となる指針は見えてこない。

 

ただそこに共通していたのは、

“『エンドゲーム』以後”というトピックだ。

 

『Ms.マーベル』の、ポストMCU・『エンドゲーム』の現実を反映したかのようなメタ的なファンダム表現、

『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』での、アメリカ保守による「キャプテン・アメリカ」の価値観の表れと、シンボルを担うことの意味、

『シー・ハルク』にて示唆された、いわゆるインセルの界隈による「キャプテン・アメリカ」の多様な偶像化(貧弱な白人男性が、大きな力を手に入れるという歪んだマッチョな願望)。あるいはシンボルを違う属性を持つ人間が担うことへの一部の人間の拒否反応のメタ的な表現。

これらは我々が『エンドゲーム』以後という身体にあるが故に、行えているストーリーテリングであるかのように思う。

 

 

一方で、『エンドゲーム』以後のMCUでしか成し得ないもう一つの大きな主題がある。

 

それは、続いていくが故に

終われないコンテンツによる、

エンディング(=『エンドゲーム』)の破壊である。

 

 

 

 

喪失のあと

 

『ワンダヴィジョン』『ブラック・ウィドウ』から、『ブラック・パンサー/ワカンダ・フォーエバー』など、

フェーズ4の作品に通底して見られたモチーフは、「喪失」だろう。

 

インフィニティ・サーガとマルチバース・サーガの明確な違いは、

我々にはインフィニティ・サーガがあった、という過去形の事実だ。

 

インフィニティ・サーガは、アイアンマンという大きなコアを喪ったことで幕を閉じたということは誰も否定しないだろう。

 

マーベルスタジオズとMCUの軌跡を辿った大著『The Story of Marvel Studios』の表紙は、インフィニティ・サーガの在りようを表現するかのように、

最初にトニーが洞窟の中で造ったアイアンマン マークIと、

彼が最後に造ったナノガントレット

それぞれ上下巻に箔押しで施されている。

 

「知恵と意思を持つ人類は、神の手助け無しにここまで来てるよ、ユイさん!」

 

インフィニティ・サーガは、ヒトの知恵と意思が、希望のコンティニューへのバトンを紡ぐという物語だった、という表明であるように思えるのだ。

スティーブ・ロジャースも、キャロル・ダンヴァースも、ブルース・バナーも、科学の力で造らていた。

時に道に外れながらも、科学がヒトを強化する……そうした今までのMCUアイデンティティを体現する存在が、アイアンマンであったと言えよう。

 

しかし、マルチバース・サーガは、そのアイデンティティを喪ったことから発している。

随所に見られる「ブリップ」の影響。

フェーズ4は、全体を通して大きな喪失が影を落としている。

 

そして『エンドゲーム』は決してハッピーエンドではない。

 

『ワンダヴィジョン』『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』『ブラック・ウィドウ』と『ホークアイ』は、その事を挑発的にも描き出している。

 

エンディングの否定から発するこの物語は、単に『エンドゲーム』の結末を批評するに留まらない。

マルチバース構想のスクリーン導入に伴い、

MCU以前の過去作のエンディングも否定され、恐らく永久に続く物語の一部に組み込まれる。

終わったはずのシリーズ作品のキャラクターも、その足跡は続いていく。

マルチバースは、終了を喪わせた。

 

しかしながら、永久の喪失もMCUには存在している。

『ワカンダ・フォーエバー』でのチャドウィック・ボーズマンへのトリビュートは、フェーズ4のみならず、MCUが何故MCU足りえたか、その精神性と在り方を大きく象徴するものだった。

 

俳優はヒーローとなり、ヒーローは俳優となる。

現実世界の時間と同期し、現実との相互作用的な世界を創り出していたMCUによる最大限のトリビュートであったように思う。

 

 

『エターナルズ』は、クロエ・ジャオの作家性により、俳優=身体性の表現はもちろん、

エターナルズ達のアイデンティティの喪失からなる、更なる進化の可能性を見せたという点で、フェーズ4的な精神性を体現せしめたタイトルだ。

 

 

マルチバースにむけて

 

ホークアイ』から、マーベルスタジオズ作品には「A Kevin Feige Production」というクレジットがなされるようになった。

 

ホークアイ』は、『デアデビル』よりヴィンセント・ドノフリオによるキングピンが登場するという、ファイギが関わっていない作品のキャラクターが初めて登場する作品だった。*1

 

以降、『ノー・ウェイ・ホーム』ではマット・マードックや往年のスパイダーマン、ヴェノム、『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』ではアンソン・マウントによるブラックボルトなど、続々と彼の非指揮下だったキャラクターが軒並みマーベルスタジオズ作品に登場している。

こうなると、NY決戦で死んだはずだった彼とか、ハッカーでインヒューマンズの彼女とか、髑髏マーク大好きなあの元軍人とか、そういうあれの登場と絡みを期待してしまうが……。

 

これらの方針の転換と、マルチバースの導入にあたって、ケヴィン・ファイギがマーベルスタジオズのみならず、マーベル全体の制作面を統括する立場になったのは些か示唆的だ。

jp.ign.com

 

ホークアイ』でのタイミングでこのクレジット変更は、やはりどうしてもそういう意味という風に見える。

 

在り続けるものは変わり、神聖時間軸は無くなった、ということか……。

 

 

そんな中で、フェーズ4は、迷いに素直すぎたと言える。

確かに、インフィニティ・サーガのフェーズ3ほどの勢いや、ワクワク感は薄いという意見は否めない。

 

しかし、あそこまでの盛り上がりを作るための、

その盛り上げ方を誰よりも熟知していたのがMCU

マーベルスタジオズではなかったか

 

来る2/17、『アントマン&ワスプ:クアントマニア』より、いよいよフェーズ5の幕が上がる。

王朝の勃興と、大戦争へと繋がるであろう狼煙を、今かと待ちわびんばかりだ。

 

ew.com

 

 

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最後に…

フェーズ4 私的ランキング

 

  1. エターナルズ
  2. ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバ
  3. Ms.マーベル
  4. スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム
  5. ホワット・イフ
  6. シー・ハルク:アトーニー
  7. ファルコン&ウィンター・ソルジャー
  8. ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス
  9. ワンダヴィジョン
  10. シャン・チー/テン・リングスの伝説
  11. ロキ
  12. ブラック・ウィドウ
  13. ソーラブ&サンダー
  14. ホークアイ
  15. ムーンナイト
  16. ウェアウルフ・バイ・ナイト

 

 

 

 

 

またまた最後に…

当ブログがこよなく愛し、度々参照している

『The Story of Marvel Studios』ですが、

この度、小学館集英社プロダクションさんが日本語訳版を出版いたします!

3/2発売!

 

ストーリー・オブ・マーベル・スタジオ | ShoPro Books

 

公式HPで限定販売!

(東京・大阪の一部4店舗でも取扱予定だそう)

3万3000円と破格のお値段!(ページ数や内容などを考えると実際安い)

 

原書も持っていますが、勿論自分はこちらも予約しました。

Thank you ShoPro👍

 

MCU好きで、制作面に興味がある方なら持っておいて損はない大著かと思います。

是非!

 

 

*1:アベンジャーズ/エンドゲーム』には『エージェント・カーター』シリーズのジャーヴィスが登場しているが、同作シーズン1にはケヴィン・ファイギが製作総指揮として名を連ねている。なお、同作シーズン1はファイギがクレジットされている唯一のマーベル・テレビジョンのMCU作品(確か)。

新世紀の2021年MCUベスト9:『ワンダヴィジョン』から『ノー・ウェイ・ホーム』まで

ネタバレ注意!

 

 

 

 

 

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アベンジャーズ/エンドゲーム』『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』の熱狂から2年。本来ならそのインフィニティ・サーガの幕が閉じた翌年の2020年から早速スタートされる予定だった新たな境地フェーズ4は、未曾有のパンデミックによって1年間のホールドを余儀なくされました。ドミノ倒しで延期される諸作品の数々に絶望したのも今や遠い思い出になりつつある…。

 

しかしながら、1年間の飢餓をその飢えたぶんだけ満たしてやろう、と言わんばかりに、今年発表されたマーベルスタジオ作品は9本

ディズニー+(これ本当に今年の秋に日本もプラスになってよかったですね…)という新たなプラットフォームを得て勢いをいや増し、もはやファンでもあっぷあっぷになるような怒涛の供給量。今まで多くても劇場公開作が3本でしたからね。渋滞だったとはいえ今年は映画だけでも4本あるという。

 

 

『エンドゲーム』公開に合わせて公開日までに1日1記事マーベルスタジオズ箱推しとしての感想であったり、ウン万字の『エンドゲーム』感想など(論文か?)、あげていましたが、同じようなボリュームでこれからやるのはぶっちゃけ無理……!ということで、せめてある程度の期間でまとめて振り返る方式ならどうか、と。

というわけで、2021年に公開されたマーベルスタジオズ作品について、軽く感想を添えながら個人的なランク付けをしようかと思います。

 

 

もちろん、各作品のネタバレをおおいに含みますので、ご注意ください。

 

 

続きを読む

世界=MCUと僕の戰い/『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』、そして『ノー・ウェイ・ホーム』

2022-01-09追記:

 

sicrim.hatenablog.com

 

2021年に発表されたMCU作品9本を個人的にランク付けした記事を書きました。『ノー・ウェイ・ホーム』のネタバレ感想もチラとあります。ぜひ。(全作ネタバレあるので注意!)

 

 

 

 

今更オブオールタイムという感じですが。

マーベルとソニーピクチャーズ間のいざこざと解決、コロナ禍の影響を受け、度重なる公開順延など、様々なカオスを経ていよいよ、ケヴィン・ファイギとエイミーパスカルジョン・ワッツ監督によるMCUスパイダーマンスパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』が今月17日に全米公開される。日本は来年1月7日ですが

最新作が公開される前に、前作であるスパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』を個人的に簡単ながら振り返っておきたい。『エンドゲーム』公開に際し、劇場公開されたMCU作品を振り返り、ウン万字も『エンドゲーム』に関する論考を書き散らした身としても、やはりインフィニティ・サーガ最終作について書かないのはイカンな……と

 

 

 

ポスト・トゥルース時代のスパイダーマン

 

まずはじめに、今現在のスパイダーマンコンテンツにまつわる所感を述べておきたい。『ノー・ウェイ・ホーム』は恐らく、『エンドゲーム』を超えるHYPEを得ている作品だろう。予告編公開、リーク(と称したウワサやデマも横行しているが…)による狂乱。正直、常軌を逸しているような気がしないでもない。この状況に対して、『ファー・フロム・ホーム』で描かれたポストトゥルース的情景が再現されているというのは考えすぎだろうか?

そもそも、スパイダーマンMCUに合流するのではないか、ということのはじまりも、元を辿ればリークであった。2014年、ソニーピクチャーズへのハッキングが起こる。ハッキング事件の詳しい経緯はここでは割愛するが(なんとWikipediaのページもある…)、流出されたメールになかに、スパイダーマンMCU入りさせるアイデアがあったのだ。

アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』公開直前である2015年2月に、公式に契約が締結されたことが発表され、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』より登場することと相成った。

 

時系列は少し飛ぶことになるが、『ノー・ウェイ・ホーム』のプロモーションは少々特異だ。トム・ホランドらがSNSに別々の嘘タイトルを投稿し、ファンの予想を盛り上げた。いつまでたっても公開されないティーザー。キャスト・スタッフ欄の無いメインポスター。そしていつも俄かにファンダムを駆り立てるリーク。

 

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そしてネタバレ王子として愛されるトム・ホランド……。

 

彼のスパイダーマンが、その始まりから今日に至るまで、リークと共にあったという奇妙な関連は実に興味深くないだろうか?

 

そして、『ファー・フロム・ホーム』のオチであり、『ノー・ウェイ・ホーム』のプロットのキッカケとなるであろう、ミステリオによるスパイダーマンのシークレット・アイデンティティーのアウティングも、言ってしまえばリークなのだ。

『ファー・フロム・ホーム』が如何にポスト・トゥルースを描いたか、というのは瞭然であるし、もっと良い記述を出来る人がいると思うので、ここでは触れない。

 

しかし、『ファー・フロム・ホーム』が、『エンドゲーム』の直後であり、11年間の歩みの区切りというタイミングで、このテーマ…VFXによる「ヒーローの創生」で市井を欺くヴィランとの対立を描いたことは末恐ろしい。

自分はファイギによる『スパイダーマン』シリーズを、最もメタフィクションな自己言及の場として見ている。いや、マーベルスタジオズがスパイダーマンを作ろうとする限り、恐らくそうせざるを得ないのだ。

 

 

 

 

 

MCUのパロディとしてのスパイダーマン

 

『ホームカミング』というタイトルからして、家(マーベル)への帰還を意識したことは想像に難くないが、MCUでのスパイダーマンは、とにかくMCU下での活動を強く主張する。

 

サム・ライミによる『スパイダーマン』三部作や、マーク・ウェブの『アメイジング』二部作との最大限の差別化は、MCUにいる」という事実だ。

アイアンマンをメンターとし、彼の影を追従しているのがMCUスパイダーマンの特徴であることは誰も否定しないだろう。逆に、ベンおじさんの影は限りなく薄い(それが観客にとって既に前提であるとして省いたとあっても)。

 

自分はこのシリーズを、公式が確信的にMCUというコンテンツの二次創作を行っている一種のパロディであるという見方をしている。彼の活躍するNYは、スーパーヒーローとエイリアンによる戦地となった都市である。『ホームカミング』のヴァルチャーのように、彼らの行動の起点には常にMCU的状況が纏わりつくようになっている。

 

そして、MCU的状況のパロディという構造そのものを物語に組み込んだのが、『ファー・フロム・ホーム』だ。

イギリスでのミステリオによる虚構の現実投影は、まさにアベンジャーズ的状況そのものの再生産である。空から出でる未曾有の脅威と、それに立ち向かうヒーローを模造し、でっち上げる。

 

このでっちあげは、作品世界内と外に向けた、二重の構造にもなっているようにも思える。明らかにモーションキャプチャー用のタイツを着たベックは、今日のVFX大作(とりわけマーベル作品)の実際の撮影風景そっくり。

ハリボテのスーパーヒーロー、あるいはスーパーヒーローのハリボテと形容すべきだろうか。お前が信じ、崇め、声援を送ったスーパーヒーローは偽物である、というようなものだ。

世界最大のスーパーヒーローコンテンツを送り出してきたスタジオが、ひとつのサーガの締めくくりとして自身の存在意義そのものを揺さぶるようなメタフィクショナルなメッセージを送り込む強気さ。

 

だが、今作はそのようなジャンルへのちゃぶ台返しだけには終わらない。なぜスーパーヒーロー映画がスーパーヒーロー映画たりえるのか、という答えを用意している。ミステリオを打ち破るのは、笑い、泣き、苦しみ、悲しみ(マイナスな方向が多いな…)、という素顔を持ったヒーローである。VFXを盛り沢山にしても、似たシチュエーションを用意しても、アベンジャーズの再創生とはなり得ないことを、ピーター・パーカーが証明する。マーベルスタジオズが作品づくりにおいて心がける重要な要素が決着をもたらすのだ。

 

 

 

カム・アウト→アウティング

『アイアンマン』のラスト、トニー・スタークが「私がアイアンマンだ」と宣言することでインフィニティ・サーガは幕を開けた。

密かな二重生活をする、というジャンルの盤石を覆したこともMCUのひとつの特徴だ。

『ファー・フロム・ホーム』の幕引きは、明らかに『アイアンマン』でのこのカミングアウトを意識している。

 

ミステリオによって、スパイダーマン=ピーター・パーカーの素性がアウティングされる。ここで考えたいのが、カミングアウトとは違う(ましてや大金持ちではなく高校生が)アウティングとしてなされることだ。

 

『The Story of Marvel Studios』では、この結末についてこう書かれている。

 

『アイアンマン』の結末に対する暗い返歌としての結末が常に計画の念頭にあったわけではなかった。「制作中に生まれたアイデアですよ。」ファイギは語る。「映画の最後にミステリオをヒーローに、ピーターをヴィランにする“フェイクニュース”を流し、ミステリオを最終的に勝利させるという」トニー・スタークは自ら進んでカミングアウトをした。しかしクエンティン・ベックはカミングアウトの選択をピーターから奪ったのだ。「壮年の億万長者がそうなるのと、17歳の高校生がそうなるのとでは意味合いが全く違うでしょう」

 

The Story of Marvel Studios,224p,2

 

このアウティングは、トニーの影を否が応にも歩まされるという、『アイアンマン』へのセルフオマージュなだけでなく、よりピーターを追い詰める試練の前触れ、スパイダーマン的状況の持ち込みでもある。MCU的でありながら、スパイダーマンとして個人が追い詰められるシチュエーションの導入。リトルアイアンマンからスパイダーマンになるための儀式だった、と言えるだろう。

 

 

 

 

世界と僕の戰い

ジョン・ワッツスパイダーマンは、常に大人、ひいては少年がそこに認識する世界との戦いを描いた。

彼のスパイダーマンは、MCUを代表する顔であるアイアンマンとの関係性のせめぎあいの中に自らを置いていた。彼が世界の中に自分の存在を示す戦いだ。

 

パスカルによれば、ファイギが2014年の交渉の中で彼女に語ったスパイダーマンのアイデアとは、次のようなものであったという。

 

「全員がすべてを持っている世界に、何も持っていないスパイダーマンを持ち込む…これがスパイダーマンの新たな物語を作る方法だと。その時思ったわ。クソッ、この男はスマートだとね」

 

The Story of Marvel Studios,230p,1

 

企画当初から、スパイダーマンと世界(MCU)の関係性は、既に大前提であった。

『ノー・ウェイ・ホーム』では、その世界がいよいよ拡張される。

 

MCUのパロディであったスパイダーマンは、ついに「スパイダーマン」をパロディする。

アイアンマン、アベンジャーズロールモデルと見做し、リトル・アイアンマンとも揶揄出来たような今回のスパイダーマンは、『ノー・ウェイ・ホーム』にて過去のスパイダーマンを(恐らく)知る者達との戦いを経て、真にスパイダーマンとなるのではないだろうか。

 

かつて終わった世界との戦い、今の世界との戦い。

 

一昨年のソニーとマーベルの契約終了が記憶に新しいが、思えばスパイダーマンは『4』プリプロダクション中の制作中止、『アメイジング2』の不振に伴う『シニスター・シックス』などの計画白紙、MCUでのリブートと、世界に振り回されたコンテンツだった。

 

 

2つの分裂する世界を繋ぎ止めたトム・ホランドのピーター・パーカーは、過去の亡霊(彼らもまた世界と戦う存在でもある)どのような「スパイダーマン」となるのか?

 

 

持して、そして、ネタバレに最大限注意を払いながら待ちたい。

 

 

 

 

 

公開日がFar From Home

最後になるが、今回のソニーピクチャーズ日本の『ノー・ウェイ・ホーム』プロモーションに苦言を呈したいです。

公開日が全米から数週間遅れたのはまぁ……しゃーないとして(しゃーなくないが)。

今回とてもグロテスクだなと思えたのは、Twitterでの試写会キャンペーンだ。

 

全米公開から数週間のディレイでファンの飢餓感が煽られる中、ツイートで応募する形態でのキャンペーン。

 

これは…よくない。

 

今、トピックやら、オススメやら、tiktokやらなんやらでネタバレを食らう可能性が日常のすぐ隣にあるから、そりゃ一刻も早く観たい。その恐怖心を利用するかのように無尽蔵のツイートを促し、トレンド入りを狙うかのようなキャンペーン。数少ないパイをファン同士で奪い合うということにもなっていて、悲しさと怒りしかない。

 

これに先んじてTOHOシネマズ会員限定で試写会も募っていたが、これぐらいの規模で全国一斉試写会出来るなら数日間限定で先行上映しろよとも思う。

 

これで愛してる、なんて言わされても……ねぇ?ですよ本当に。

これに問わず、ファンを利用する、というプロモーションはメジャー配給に見られがちだ。ファンが連帯を生み、発信し、新たなファンを呼び寄せるようになった今、その既に時代遅れなのではないか、と感じる。

というか、少なくともマーベルスタジオズはそのファンコミュニティとの連帯を重視してきた集団だ。愛するスタジオの作品で、このような分断を生むようなプロモーション戦略を取っているのならば、悲しさが積もる。

 

兎にも角にも、本当に皆さんネタバレにお気をつけて。大いなる力には大いなる責任が伴う、ということで、ネタバレも厳禁です!!!

 

 

There was an idea.../the END of the line: 『アベンジャーズ/エンドゲーム』終編

 

 

 

"There was an idea, Stark knows this,

ある計画があった。スタークは知っているな。

 

called the Avengers Initiative.

アベンジャーズ計画だ。

 

The idea was to bring together a group of remarkable people,

超人たちのチームを結成し――

 

see if they could become something more.

更なる存在の可能性を見たいという思い。

 

See if they could work together when we needed them to,

人々が求める時、集ってほしいという思い。

 

to fight the battles we never could."

彼らにしか出来ない戦いを。

 

 

――ニック・フューリー『アベンジャーズ』(拙訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 the END of the line

 

 

 

 

 

アベンジャーズ/エンドゲーム』

終編

 

 

 

 

 

 

 

 

取り急ぎ。

察してください!

 

大変お待たせしました。終編です。主にアッセンブルシーンのメタ性の分析を。また、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』への思いも最後にありますので、どうぞよしなに。

自分の怠慢もあって難産な記事でしたが、ユニークな視点が終始提供出来たのではないかと。あ、こういう見方もあるんだ、とか、これは共感できるかも!みたいに感じていただけると嬉しいです。

 

もっと書きたかったな、と思いますが、とりあえずこの三本の時点で2万字越えてるし(卒論かよ!)、とりあえずは良いかなと…。語っても語っても語りつくせない『エンドゲーム』は本当にエピックな作品だったんだな、と改めて思わされる次第です。それでは、よろしくお願いします。

 

 

 

前編はこちら

sicrim.hatenablog.com

 

中編はこちら

sicrim.hatenablog.com

 

 

 

 

 【目次】

 

 

 

 

 

 

 

「アッセンブル」の自己言及

 

www.youtube.com

 

 現在使用されているマーベル・スタジオズのスタジオロゴ映像*1は、コミック→脚本→コンセプトアート→本編映像のモンタージュと、コミック映画が作られゆく過程をあらわしている。

 

 

その中で、最初に脚本パートとして使用されているのが、トニーの「I am Iron Man.」やスティーブの「I can do this all day.」でもなく、上記で引用した『アベンジャーズ』のフューリーの台詞「There was an idea...」である。この台詞は、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の特報にも、様々なヒーローに言わせるというかたちで使用されている。

 

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 この台詞は、マーベル・スタジオズの精神性そのものを表していると言っても過言ではない(というか、そう解釈している)。つまりそれは、映画づくりの精神性だ。

 

 

 このシークエンスを制作したPerception社のケーススタディによれば、ケヴィン・ファイギが考案した「How to build a Universe」、ユニバースの作られ方がコンセプトにあるそうだ。

 

 

1. 伝説のコミックの基盤、歴史

2. ハリウッドの素晴らしい脚本家たちがコミックを脚本に翻案する

3. 最高のアーティストらが、コンセプトアートを描く

4. 最強の監督、キャスト、スタッフが映画としてかたちづくる

5. 複数の映画が、キャラクターが、ユニバースを共有し、マーベル・ユニバースを形成していく

 

 

ケーススタディには、フューリーの台詞がある理由にこうある。「マーベル・スタジオズの精神」と。 

 

様々な分野のプロを集め、共同作業をし、高めあう。そしてひとつの大作を創出する。一人では、常人では出来ない戦い(=作品)であり、その連続で出来ているのがMCUだ。そして、そのsomething moreであり、the battle that we never couldが、『エンドゲーム』である。

 

『エンドゲーム』には様々な自己言及がある。11年間の歴史への自己言及。ルッソ兄弟自身の自己言及。そして、ファイギの思いそのものの自己言及。ファンダムの自己言及。これらの自己言及の集大成こそ、我々が、あの2019年に、劇場にて一同に会し、固唾をのんで見守り、熱狂した、何年も何年も待ったあの言葉、あの瞬間である。

 

 

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 サーガの最終作には、必然的に、その作品が持っていた構造が作品に表出する。

 

『スカイウォーカーの夜明け』ですら、そこには続三部作の在り方があったと言えよう(スカイウォーカー・サーガの在り方は『マンダロリアン』にあったが)。

 

『エンドゲーム』がMCUの構造を表出した瞬間は、間違いなくここだ。

 

そして、その構造とは、映画づくり、ユニバースづくりそのものである。

 

 キャプテン・アメリカのもとに、ドクター・ストレンジはスーパーヒーローというスターを、そして無数のスタッフを用意した。ストレンジは『インフィニティ・ウォー』で未来を視て、数多あるプロットを読み、脚本の筋書きを決定し、人員の配置を考え、計画を導き、そしてタイトルまで("We're in the endgame now.")決定した。彼はその点、プロデューサーといえるだろう。

 

 

 

 そして、スターもクルーも、現場のリーダーである(=監督)キャプテン・アメリカの掛け声で動く。

 

 

 アベンジャーズ・アッセンブルとは、映画の撮影なのだ。

 サノスによって奪われた監督権を、今一度取り戻し、我々のための戦いをしようという、創作への決意の物語なのである。

 

 

 

 

 

 

 

バトンの先

 

 アイアン・ガントレットは、父であるホークアイから、ワカンダの国王であるブラックパンサー、若き希望であるスパイダーマン、そして未来を担う女性たちとキャプテン・マーベルに渡されてきた。これらが、インフィニティ・サーガ以後のMCUを導くスターが、トニーという殿に引導を渡す流れであることは明白だろう。

 

 サノスは多様性を奪った。対して、アベンジャーズが有するのは多様性である。

 

 女性ヒーローが集まる展開がご都合主義な「ポリコレ」的であるという非難は比較的よく見る印象がある。しかし、これに対して言いたい。このバトンシーンはおろか、アッセンブル自体がご都合なのだと。バトンを紡ぐのは次への売り込みだ。そして、アッセンブルは、プロデューサーであるストレンジが用意した場所なのだ。

 

 そして、マーベルスタジオズは、『ブラックパンサー』などの非白人のヒーローや、『ブラック・ウィドウ』などの女性ヒーローの単独映画化を幾度となく阻まれていたという知られざる経緯がある。それを思えば、このバトンシーンはメタ的な強い思いを込めていると感じてしまう。

 

 なんにしても、女性ヒーローのアッセンブルは『インフィニティ・ウォー』の、プロキシマ・ミッドナイトに対するワンダ、オコエ、そしてナターシャの意趣返しであり、その場にいないナターシャに対するトリビュートであったということも忘れてはいけない。

 

 

そうして、バトンは、左から右へ、イマジナリーラインを超越した(=向こう側)トニーのもとへと紡がれる。

中編で、私は自己犠牲についてダラダラと書いた。そこで、ここでひとまず終わらせるためには、不本意ながら英雄の死しかなかったのではないか、と書いた(と思う)。

 

だが、ストレンジによる一つの勝利の筋書きは、まさにそれだ。

つまり、プロデューサーであるストレンジが、トニーという絶対的なヒーロー(=スター)の「英雄死」(=引退)こそがこの壮絶な戦いを、そして映画を、インフィニティ・サーガを完結させるたった一つの手立てであると考えたのだ

 

最終決戦のさなか、ストレンジが決壊した湖をひとりせき止めるシーンがある。

 

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この意味について私は結構考えていたことがあった。『エンドゲーム』における水は、ヴォーミアにおいてソウルストーンを入手した時にワープさせられる場所や、ナターシャの葬式、トニーの葬式など、「死」にまつわるシーンに度々映っている。ストレンジは押し寄せる水を魔法で必死にせき止める。それはトニーの「死」への道の整備であり、またプロデューサーとしての、現場の保全でもある。

 

ストレンジは、トニーの死に、思いつめた表情を見せる(これ削除シーンでしたっけ…)。文字通り、他に方法はなかったのか?という逡巡だ。これはストレンジのやり方としての、また、プロデューサー・ケヴィン・ファイギの逡巡ではないだろうか?(結構怪文書になってきた)

 

結果として、スターの華々しい引退によって、映画は完結する。アッセンブルと、そのバトンは、マーベルの映画の撮影そのものであり、そしてこれからの展望を語るものだったのだ。

 

 

 

 

 

終わり、広がり続ける世界にむけて

 自己言及はトニーの遺言までいきわたる。そのなかには、モロに「Universe」という単語が含まれる。初見時はマジで感動した……。

 

 トニーの「引退」は、広義的な意味で、その多様な姿を持つユニバースを守った。無論、それにはメタ的な意味合いも含まれるのだろう。トニーが守ったのは、マーベルスタジオズの世界、そして作品世界そのもの、また、家族という最小単位の世界だった。

 

キャプテン・アメリカファンとしては、彼の最後を語らねばなるまい。彼の選んだ結末は、まぁ、一言では言い表せないが、感涙だった。正直、アッセンブルやムジョルニア以上だったと言って良い。時間から残された男が、時間を取り戻す物語なのだから。バッキ―との共闘シーンをアッセンブルで観たかった一点は残念だが、彼との別れの、瞳を交わすさまはご飯何杯でもいける。

 

『エンドゲーム』にはソーの5年後、老人のキャップ、冒頭やせ細ったトニーと、ビッグ3全員に体型変化・年齢変化があった。体型変化は『ファースト・アベンジャー』で、年齢変化は『アントマン&ワスプ』『キャプテン・マーベル』でおなじみの手法だ。こうした技術的なフィードバックとしても、『エンドゲーム』はまさに総決算だった。そしてそれが、最後の感動的な継承シーンに用いられる圧倒的な自信。キャラクターの時間操作、という、MCUが手にした時間の結晶体。

 

『エンドゲーム』が最後、1940年代に戻って終了するのは、その輝かしい時間を手に入れられたからだ。

 

『エンドゲーム』は確かに完結の物語だった。しかし、これからもユニバースは広がり続ける。これは、その通過点でしかない。そのさまを我々は既にみている。闇と光がぶつかりあう壮大な世界。その世界の中で我々は生きている。

 

 

 

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アベンジャーズ/エンドゲーム』を西暦2019年4月26日、MOVIXさいたまの最速上映で鑑賞した直後に食べたチーズバーガー。様々な万感の思いを胸に、噛み締めた。

 

 

 

 

 

もう一つの終わりにむけて

 

まぁ……察していただいていると思うが、この記事を急いで書いたのは西暦2021年3月8日公開『シン・エヴァンゲリオン劇場版』明日公開されるからである。個人的な思い入れの強いシリーズの完結編として、この『エンドゲーム』と『シン・エヴァ』は双璧を成していた。そして今、その欠けたピースが長年の時を経て埋まろうとしている。もう気がどうかしてしまいそう!!!!!!*2

 

めちゃめちゃ急ピッチに書いているのにも関わらずすっごくいいこと書いていると思う。どうですか。

 

文中で、私は、サーガ最終作には、その構造が立ち現れると書いた。『シン・エヴァ』も例外ではないと思う。というより、『シン・エヴァ』こそそのオンパレードだろうと言って良いエヴァの構造とは何か、みたいな話もあるんだけど。ぶっちゃけて言うと、この記述は『シン・エヴァ』を念頭に書いたし、『エンドゲーム』そのものを脳内『シン・エヴァ』とすごく重ねて観てた節はある。

 

それはまぁ、平たく言うならばまぎれもなく「庵野秀明」その人だろう。彼のライフワークである(ライフワークになってしまった)エヴァンゲリオン。キャッチコピーに「さらば、全てのエヴァンゲリオン」と書いているのだ。まったく、まったくである……。

 

『エンドゲーム』を観た時、私は万全の体勢で臨むことが出来た。作品の準備的な意味でも、リアル方面の意味でも。しかし、今回は、この状況下だし、世界中が準備できていないというような気がする。いや、私だけは絶対に準備できてない自信があるのだが。

 

というより、『シン・エヴァ』に対する万全な準備とは一体誰が出来よう?それは、庵野秀明スタジオカラーが、それを製作し、完成させた、それこそが準備だろう。覚悟です。そして覚悟をせねばなりません。準備というよりは、覚悟なのです(ハイになってる)。

 

 

個人的には、『エンドゲーム』が『シン・エヴァ』になんらかの影響を与えたのではないか、と若干期待している。上映時間が過去作と比べて30分以上増していたりとか、白プラグスーツが量子スーツっぽいとか、みんなプラグスーツ着てるのもそれっぽいなとか、『エンドゲーム』も言うなれば3.0+1.0だしな、とか、共通項を勝手に見出しては燃えている。今回の振り返りで、個人的に「納得のいかなかった」という第一印象を抱いた(抱いてしまった)『エンドゲーム』が整理できた、と思う。作品が終わるとは何なのか、について、すこしでも考えられることができた、と思う。その意味では、『シン・エヴァ』への準備として、正反対にも思えるこのハリウッド大作への思考は自分にとっては欠かせないフローだった。

 

しかし、『エンドゲーム』は『エンドゲーム』だし、『シン・エヴァ』は『シン・エヴァ』だ。同じ精神性を見出してはいるといえども揺るがない。

 

『エンドゲーム』は、最終的には希望、次の世界への開く鍵だった。しかし、長らくそこになく、そこにあった希望だった『シン・エヴァ』は、「さらば」だ。そこにあるのは、我々、そして庵野秀明をはじめとするスタッフの方々の「さらば」である。出会いは偶然で、別れは必然、ってまた……(PUNPEE 『Operation: Doomsday Love』)。

 

アベンジャーズによる世界との繋がり。エヴァンゲリオンによる世界との繋がり。様々な要因によって世界と繋ぎ止められているということを改めて知る。その繋がりに思いを馳せるばかりだが、感傷ばかりにふけっている時間もない。

 

 

繰り返しの物語。

いっぱいあるけど、もうひとつ増やしましょう。

そして、その先の、お別れ。

卒業式のためにもう寝よう…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:ご存知かもしれないが、このロゴ映像は毎作毎作、MARVELの文字の中にある映像がアップデートされている。『ワンダヴィジョン』においては、『エンドゲーム』の名シーンがふんだんに使われており、おおいに私を沸かせた。また、最後に残る映像が昨年急逝したチャドウィック・ボーズマン演じるブラックパンサーのアイコニックな戦闘シーンにしているのもトリビュートとして泣かせる。また、上の動画は、MCU作品のモニターグラフィックスやVFX、そしてタイトルシークエンスを制作しているPerception社がアップロードしたもの。同チャンネルでは、このスタジオロゴのメイキングや、『ファー・フロム・ホーム』のイーディスのUIの素材動画など、MCUファン垂涎のお宝映像の数々がアップされている。 PERCEPTION - YouTube 

*2:最も信頼している庵野ファンのフォロワーのひとりであるジョンドウさんと駄弁ったお話をnoteにアップしています。『シン・エヴァ』についてとか、エヴァンゲリオン庵野作品との出会いについて喋っています。ひとりのオタクの在りようのあかしとして、お時間あるときにどうぞ。結構長いです。

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