アンティバース、アウターリム

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Endgame Study 17: そして、王になる『マイティ・ソー/ラグナロク』

 Endgame Study 17

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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マイティ・ソー/ラグナロク

 

タイトルに関してはもはや何も言うまい。

 

狂人ことタイカ・ワイティティ監督は今作の製作にあたり「前の2作は見てないよ!」とどこかのインタビューで飄々と答えていたが、そんな事はなく、前の2作どころかMCU全体に細やかな気配りがなされたファンにとってご褒美のような作品だった。

ラグナロク』はとにかくイースターエッグがてんこ盛りだ。『マイティ・ソー』でマニアを騒がせたインフィニティ・ガントレットのオチがつき、ハルクを落ち着かせんとするソーは『エイジ・オブ・ウルトロン』のブラック・ウィドウをいじるかのよう。

 

そしてもちろんのこと今作は『マイティ・ソー』3部作の最終作であり、前作の要素も継承(というか半分茶化してる)されている。『ダーク・ワールド』の出来事はマット・デイモンとルーク・ヘムズワースが演じるシェイクスピア劇チックに紹介される。そもそもシェイクスピアを引用することで始まったこのシリーズが劇中劇として今までのあらすじをコメディ調に紹介するのもまた面白い。

 

今作における前作への最も強いトリビュートは、ソーがステイツマンの玉座に座るところだ。ここにかかる音楽は、『マイティ・ソー』にてアスガルドが初めて映るシーンのスコアを引用している。国土が破滅するが、民のいるここがアスガルドなのだということを強く示す名演出で、気付いた時にはとにかく震えた。

 

今作はあらすじだけ見ればMCUでも1、2を争うレベルに凄惨だ。冒頭でオーディンは死に、ムジョルニアは破壊され、アスガルドの血塗られた過去が封印されていた彼らの姉の復活と共に露見する。王族であるソーは奴隷となり、友人たちもヘラの前に倒れる。最後には王国の崩落を選び、輝ける神々は移民となり宇宙をさまよう。

 

暗すぎる……。

が、そんな印象を微塵にも受けないのは、ワイティティの作家性によるところが大きい。彼の繰り出すシュールギャグの応酬は、『ラグナロク』を最も暗く、そして最も楽しい作品に仕上げている。

ただ、ずっとおちゃらけているかというとそうでもなく、キメるところはしっかりキメる。レッド・ツェッペリンの『移民の歌』はまさしくソーにピッタリのナンバーだったが、この曲を使おうというのはワイティティの提案だった。

そしてまた、今際の時のオーディンと息子たちの会話と北欧の海など、抒情のあるシーンも巧みに演出する彼の手腕は恐ろしい。ギャグばかり言ってるお調子者が急に真面目になる怖さを彼は知っている

 

ビッグ3の3部作最終作は決まって彼らのトレードマークを手放すことが共通している。キャラそのものを脱構築してみようというこの試みは、もはやフェチ的なものを感じる。共通していることこそファンの間で語られているが、ファイギなどの主要スタッフがこの件について語ったことは記憶ではあまりなかったのではと思う。今度また調べてみます。

 

今作のソーは、しきりにヒーローのすべき事、と口にする。王ではなくヒーローを繰り返す。最後、彼は王に向き合うことになるのだが、その直後の出来事はご存知の通りだ。王としての彼はどう描かれるのか?おそらくソーは、ビッグ3のうち今後が最も楽しみなキャラクターである。