世界=MCUと僕の戰い/『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』、そして『ノー・ウェイ・ホーム』
2022-01-09追記:
2021年に発表されたMCU作品9本を個人的にランク付けした記事を書きました。『ノー・ウェイ・ホーム』のネタバレ感想もチラとあります。ぜひ。(全作ネタバレあるので注意!)
今更オブオールタイムという感じですが。
マーベルとソニーピクチャーズ間のいざこざと解決、コロナ禍の影響を受け、度重なる公開順延など、様々なカオスを経ていよいよ、ケヴィン・ファイギとエイミーパスカル、ジョン・ワッツ監督によるMCUスパイダーマン『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』が今月17日に全米公開される。日本は来年1月7日ですが
最新作が公開される前に、前作である『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』を個人的に簡単ながら振り返っておきたい。『エンドゲーム』公開に際し、劇場公開されたMCU作品を振り返り、ウン万字も『エンドゲーム』に関する論考を書き散らした身としても、やはりインフィニティ・サーガ最終作について書かないのはイカンな……と
ポスト・トゥルース時代のスパイダーマン
まずはじめに、今現在のスパイダーマンコンテンツにまつわる所感を述べておきたい。『ノー・ウェイ・ホーム』は恐らく、『エンドゲーム』を超えるHYPEを得ている作品だろう。予告編公開、リーク(と称したウワサやデマも横行しているが…)による狂乱。正直、常軌を逸しているような気がしないでもない。この状況に対して、『ファー・フロム・ホーム』で描かれたポストトゥルース的情景が再現されているというのは考えすぎだろうか?
そもそも、スパイダーマンがMCUに合流するのではないか、ということのはじまりも、元を辿ればリークであった。2014年、ソニーピクチャーズへのハッキングが起こる。ハッキング事件の詳しい経緯はここでは割愛するが(なんとWikipediaのページもある…)、流出されたメールになかに、スパイダーマンをMCU入りさせるアイデアがあったのだ。
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』公開直前である2015年2月に、公式に契約が締結されたことが発表され、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』より登場することと相成った。
時系列は少し飛ぶことになるが、『ノー・ウェイ・ホーム』のプロモーションは少々特異だ。トム・ホランドらがSNSに別々の嘘タイトルを投稿し、ファンの予想を盛り上げた。いつまでたっても公開されないティーザー。キャスト・スタッフ欄の無いメインポスター。そしていつも俄かにファンダムを駆り立てるリーク。
そしてネタバレ王子として愛されるトム・ホランド……。
彼のスパイダーマンが、その始まりから今日に至るまで、リークと共にあったという奇妙な関連は実に興味深くないだろうか?
そして、『ファー・フロム・ホーム』のオチであり、『ノー・ウェイ・ホーム』のプロットのキッカケとなるであろう、ミステリオによるスパイダーマンのシークレット・アイデンティティーのアウティングも、言ってしまえばリークなのだ。
『ファー・フロム・ホーム』が如何にポスト・トゥルースを描いたか、というのは瞭然であるし、もっと良い記述を出来る人がいると思うので、ここでは触れない。
しかし、『ファー・フロム・ホーム』が、『エンドゲーム』の直後であり、11年間の歩みの区切りというタイミングで、このテーマ…VFXによる「ヒーローの創生」で市井を欺くヴィランとの対立を描いたことは末恐ろしい。
自分はファイギによる『スパイダーマン』シリーズを、最もメタフィクションな自己言及の場として見ている。いや、マーベルスタジオズがスパイダーマンを作ろうとする限り、恐らくそうせざるを得ないのだ。
MCUのパロディとしてのスパイダーマン
『ホームカミング』というタイトルからして、家(マーベル)への帰還を意識したことは想像に難くないが、MCUでのスパイダーマンは、とにかくMCU下での活動を強く主張する。
サム・ライミによる『スパイダーマン』三部作や、マーク・ウェブの『アメイジング』二部作との最大限の差別化は、「MCUにいる」という事実だ。
アイアンマンをメンターとし、彼の影を追従しているのがMCUスパイダーマンの特徴であることは誰も否定しないだろう。逆に、ベンおじさんの影は限りなく薄い(それが観客にとって既に前提であるとして省いたとあっても)。
自分はこのシリーズを、公式が確信的にMCUというコンテンツの二次創作を行っている一種のパロディであるという見方をしている。彼の活躍するNYは、スーパーヒーローとエイリアンによる戦地となった都市である。『ホームカミング』のヴァルチャーのように、彼らの行動の起点には常にMCU的状況が纏わりつくようになっている。
そして、MCU的状況のパロディという構造そのものを物語に組み込んだのが、『ファー・フロム・ホーム』だ。
イギリスでのミステリオによる虚構の現実投影は、まさにアベンジャーズ的状況そのものの再生産である。空から出でる未曾有の脅威と、それに立ち向かうヒーローを模造し、でっち上げる。
このでっちあげは、作品世界内と外に向けた、二重の構造にもなっているようにも思える。明らかにモーションキャプチャー用のタイツを着たベックは、今日のVFX大作(とりわけマーベル作品)の実際の撮影風景そっくり。
ハリボテのスーパーヒーロー、あるいはスーパーヒーローのハリボテと形容すべきだろうか。お前が信じ、崇め、声援を送ったスーパーヒーローは偽物である、というようなものだ。
世界最大のスーパーヒーローコンテンツを送り出してきたスタジオが、ひとつのサーガの締めくくりとして自身の存在意義そのものを揺さぶるようなメタフィクショナルなメッセージを送り込む強気さ。
だが、今作はそのようなジャンルへのちゃぶ台返しだけには終わらない。なぜスーパーヒーロー映画がスーパーヒーロー映画たりえるのか、という答えを用意している。ミステリオを打ち破るのは、笑い、泣き、苦しみ、悲しみ(マイナスな方向が多いな…)、という素顔を持ったヒーローである。VFXを盛り沢山にしても、似たシチュエーションを用意しても、アベンジャーズの再創生とはなり得ないことを、ピーター・パーカーが証明する。マーベルスタジオズが作品づくりにおいて心がける重要な要素が決着をもたらすのだ。
カム・アウト→アウティング
『アイアンマン』のラスト、トニー・スタークが「私がアイアンマンだ」と宣言することでインフィニティ・サーガは幕を開けた。
密かな二重生活をする、というジャンルの盤石を覆したこともMCUのひとつの特徴だ。
『ファー・フロム・ホーム』の幕引きは、明らかに『アイアンマン』でのこのカミングアウトを意識している。
ミステリオによって、スパイダーマン=ピーター・パーカーの素性がアウティングされる。ここで考えたいのが、カミングアウトとは違う(ましてや大金持ちではなく高校生が)アウティングとしてなされることだ。
『The Story of Marvel Studios』では、この結末についてこう書かれている。
『アイアンマン』の結末に対する暗い返歌としての結末が常に計画の念頭にあったわけではなかった。「制作中に生まれたアイデアですよ。」ファイギは語る。「映画の最後にミステリオをヒーローに、ピーターをヴィランにする“フェイクニュース”を流し、ミステリオを最終的に勝利させるという」トニー・スタークは自ら進んでカミングアウトをした。しかしクエンティン・ベックはカミングアウトの選択をピーターから奪ったのだ。「壮年の億万長者がそうなるのと、17歳の高校生がそうなるのとでは意味合いが全く違うでしょう」
The Story of Marvel Studios,224p,2
このアウティングは、トニーの影を否が応にも歩まされるという、『アイアンマン』へのセルフオマージュなだけでなく、よりピーターを追い詰める試練の前触れ、スパイダーマン的状況の持ち込みでもある。MCU的でありながら、スパイダーマンとして個人が追い詰められるシチュエーションの導入。リトルアイアンマンからスパイダーマンになるための儀式だった、と言えるだろう。
世界と僕の戰い
ジョン・ワッツのスパイダーマンは、常に大人、ひいては少年がそこに認識する世界との戦いを描いた。
彼のスパイダーマンは、MCUを代表する顔であるアイアンマンとの関係性のせめぎあいの中に自らを置いていた。彼が世界の中に自分の存在を示す戦いだ。
パスカルによれば、ファイギが2014年の交渉の中で彼女に語ったスパイダーマンのアイデアとは、次のようなものであったという。
「全員がすべてを持っている世界に、何も持っていないスパイダーマンを持ち込む…これがスパイダーマンの新たな物語を作る方法だと。その時思ったわ。クソッ、この男はスマートだとね」
The Story of Marvel Studios,230p,1
企画当初から、スパイダーマンと世界(MCU)の関係性は、既に大前提であった。
『ノー・ウェイ・ホーム』では、その世界がいよいよ拡張される。
MCUのパロディであったスパイダーマンは、ついに「スパイダーマン」をパロディする。
アイアンマン、アベンジャーズをロールモデルと見做し、リトル・アイアンマンとも揶揄出来たような今回のスパイダーマンは、『ノー・ウェイ・ホーム』にて過去のスパイダーマンを(恐らく)知る者達との戦いを経て、真にスパイダーマンとなるのではないだろうか。
かつて終わった世界との戦い、今の世界との戦い。
一昨年のソニーとマーベルの契約終了が記憶に新しいが、思えばスパイダーマンは『4』プリプロダクション中の制作中止、『アメイジング2』の不振に伴う『シニスター・シックス』などの計画白紙、MCUでのリブートと、世界に振り回されたコンテンツだった。
2つの分裂する世界を繋ぎ止めたトム・ホランドのピーター・パーカーは、過去の亡霊(彼らもまた世界と戦う存在でもある)どのような「スパイダーマン」となるのか?
持して、そして、ネタバレに最大限注意を払いながら待ちたい。
公開日がFar From Home
最後になるが、今回のソニーピクチャーズ日本の『ノー・ウェイ・ホーム』プロモーションに苦言を呈したいです。
公開日が全米から数週間遅れたのはまぁ……しゃーないとして(しゃーなくないが)。
今回とてもグロテスクだなと思えたのは、Twitterでの試写会キャンペーンだ。
\開催決定❗️/
— ソニー・ピクチャーズ映画 公式 (@SonyPicsEiga) 2021年12月10日
🕷『#スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』#ソニピク 主催 試写会に合計100名様をご招待いたします🎟
【日時】 12月21日(火) 18:30 開映🕷
【場所】 都内某所
🕷応募は明日から4日間❗️
👇方法は下記よりご確認ください👀
#スパイダーマン愛してる pic.twitter.com/nJ3o1RQjsT
全米公開から数週間のディレイでファンの飢餓感が煽られる中、ツイートで応募する形態でのキャンペーン。
これは…よくない。
今、トピックやら、オススメやら、tiktokやらなんやらでネタバレを食らう可能性が日常のすぐ隣にあるから、そりゃ一刻も早く観たい。その恐怖心を利用するかのように無尽蔵のツイートを促し、トレンド入りを狙うかのようなキャンペーン。数少ないパイをファン同士で奪い合うということにもなっていて、悲しさと怒りしかない。
これに先んじてTOHOシネマズ会員限定で試写会も募っていたが、これぐらいの規模で全国一斉試写会出来るなら数日間限定で先行上映しろよとも思う。
これで愛してる、なんて言わされても……ねぇ?ですよ本当に。
これに問わず、ファンを利用する、というプロモーションはメジャー配給に見られがちだ。ファンが連帯を生み、発信し、新たなファンを呼び寄せるようになった今、その既に時代遅れなのではないか、と感じる。
というか、少なくともマーベルスタジオズはそのファンコミュニティとの連帯を重視してきた集団だ。愛するスタジオの作品で、このような分断を生むようなプロモーション戦略を取っているのならば、悲しさが積もる。
兎にも角にも、本当に皆さんネタバレにお気をつけて。大いなる力には大いなる責任が伴う、ということで、ネタバレも厳禁です!!!