アンティバース、アウターリム

好きな作品や好きなスタジオについて書けたらいいなと思ってます

新世紀の2021年MCUベスト9:『ワンダヴィジョン』から『ノー・ウェイ・ホーム』まで

ネタバレ注意!

 

 

 

 

 

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アベンジャーズ/エンドゲーム』『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』の熱狂から2年。本来ならそのインフィニティ・サーガの幕が閉じた翌年の2020年から早速スタートされる予定だった新たな境地フェーズ4は、未曾有のパンデミックによって1年間のホールドを余儀なくされました。ドミノ倒しで延期される諸作品の数々に絶望したのも今や遠い思い出になりつつある…。

 

しかしながら、1年間の飢餓をその飢えたぶんだけ満たしてやろう、と言わんばかりに、今年発表されたマーベルスタジオ作品は9本

ディズニー+(これ本当に今年の秋に日本もプラスになってよかったですね…)という新たなプラットフォームを得て勢いをいや増し、もはやファンでもあっぷあっぷになるような怒涛の供給量。今まで多くても劇場公開作が3本でしたからね。渋滞だったとはいえ今年は映画だけでも4本あるという。

 

 

『エンドゲーム』公開に合わせて公開日までに1日1記事マーベルスタジオズ箱推しとしての感想であったり、ウン万字の『エンドゲーム』感想など(論文か?)、あげていましたが、同じようなボリュームでこれからやるのはぶっちゃけ無理……!ということで、せめてある程度の期間でまとめて振り返る方式ならどうか、と。

というわけで、2021年に公開されたマーベルスタジオズ作品について、軽く感想を添えながら個人的なランク付けをしようかと思います。

 

 

もちろん、各作品のネタバレをおおいに含みますので、ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9.  ブラック・ウィドウ

最初に述べさせていただくと、最下位ですけれども、実際のところ9-4まではほぼ同率です。てか『ブラック・ウィドウ』普通にめちゃくちゃ好きなんですよ…。今年の作品数の異常さがありありとわかる。

劇場公開作ながら、ディズニー+の会員であれば別途課金で家でも鑑賞出来るプレミアアクセス対象作品だったため、国内では大手邦画配給会社系シネコンで上映されなかったというのも記憶に新しい。

 

全体的には極めて高水準なアクションブロックバスターに仕上がっていて、プロットにおけるロジックな進行は、相手の上を常に行くナターシャのスタイルと符号するかのようで見ていて心地いい。

 

 

今回のヴィランであるドレイコフは女性を搾取する真のクソ野郎で、サノスが可愛くみえるほどMCUでも屈指の胸糞ヴィランであったように思います。フェロモンで行動を操る設定の気持ち悪さとエグさがすごい。しかしドレイコフのようなミソジニスト、女性を搾取する強権的な男性は単なるフィクションではなく、現実にも大なり小なり存在します(実際、自分がドレイコフやレッドルームの描写について初鑑賞時に想起したのが、製作時にもちょうど大きく話題の俎上にあったであろうワインスタインやエプスタインでした)。

彼を鼻っ柱を追ってでもぶん殴り、悲惨な状況にいる女性たちを解放するブラックウィドウは、似た状況にいる現実の女性たちのエンパワメントも果たすわけで、まさしく今日のヒーロー的であると言えるのではないでしょうか。

 

製作背景についていうと、『ブラック・ウィドウ』の単独作の企画のアイデアは長年あったわけですが、やはり他のスーパーヒロイン映画のように「女ヒーローは売れない」と、悪名高いパルムッターなどからストップされていたんですね。『ブラック・ウィドウ』はもっと早く制作されるべきであった…という一方で、ワーナーでの『ワンダーウーマン』の成功や、MCU内で積み上げてきた描写の数々が、念願の単独作であり、スカーレット・ヨハンソンの実写ナターシャの卒業の花道でもある『ブラック・ウィドウ』制作に繋がったのかも、と思うと、『インフィニティ・ウォー』でナターシャ自身が言い、『エンドゲーム』にて彼女の自己犠牲によって紡いだバトンがAフォース的瞬間に結実する「She's not alone.」を作品全体で体現しているようで目頭が熱くなる思いです。

 

 

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惜しむらくはポストクレジットで、『ファルコン・アンド・ウィンター・ソルジャー』とあべこべになってしまったがために、恐らく『アイアンマン』のポストクレジットへの鏡像になっているのであろうヴァルのシーンがキャプ翼に出てきたアイツて印象になったことかなぁ。

 

 

 

 

8. ロキ

 

次々に導入されるクソデカ新設定でオタクを混乱させながらも、トム・ヒドルストン本人もプロデューサーとして名を連ね、綿密でしっとりしたロキ描写でオタクの感情を莫大にさせた『ロキ』。個人的に4話あたりまではあまり感心しませんでしたが、5話のロキ合戦、そして6話の『マトリックス リローデッド』的舞台と「つづく」にやられました。

 

今作の特徴的なスタイルに、書き割り的な世界観があると思います。TVAのマットペインティングのような背景。極めて限られたアングルによって展開されるポンペイの景観。すべてが決まっているはずの風景を再訪し、こともなしに進行するという様子は映画撮影のそのもの奇妙さにも通じているような気がします。

 

最終話の割り切り具合は素晴らしい。説明に終始しながら、キャストの熱演で観れるものになっているという舵取りの豪胆さ。スタジオアニメーションの最終回感もよかったです。

 

今作でマルチバースが解放されたようにも思えますが、あの場所は時間のはじまりと終わりに位置するわけなので、そもそも「神聖時間軸」など存在しない、ということになるんだろうなと。我々が観測したがために「『ロキ』でマルチバースがはじまった!」と言われがちですが、MCUにおけるカノンと非カノンはそもそも存在していない、多様なユニバースは既にそこにあったのであった、と後に続いた展開はそのように思わせてくれます。

 

7. ホークアイ

つい先日のホリデーシーズンに配信されたフィナーレも記憶に新しい。

 

 

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a Kevin Feige production第一回作品でもあります。

 

 

全体的にゆるーく観れるなかで、ヒーローを続けることの代償が1つのテーマとして設定されていたのが良かったと思います。身体的には普通の人間であるクリントならではの積み重ねですね。続いていく物語であるMCUにおいて、続くことによる傷は今後主題のひとつとなるようなトピックだろうなと(他の作品でも似た精神性を持つテーマはみられました)。

 

一方で、明らかに身体が通常の成人男性を超越しているキングピンの登場。

作品全体を支配してほしいという思いはありつつも、これからの登場を思うと作品に還元するのは必要な儀式だったのかもな…とも思えます。アロハシャツはドノフリオ本人のアイデアであるらしい、というのは結構面白かった。あのアロハはスパイダーマンのエピソードでの衣装そのまま(彼のPCの壁紙らしい)で、ドノフリオは今後スパイダーマンとやりたいんだろうな~。

 

a Kevin Feige production第一回作品が、Netflixキャラクターの登場を迎えた、という事実はなかなか興味深いです。『デアデビル』はMCUと言いつつも、マーベルスタジオズはまったくノータッチな訳ですから、ファイギら制作陣にしてみれば、合流を求める声は大きいながらも、扱うのが難しい存在でもあります。しかし、ファイギはマーベル本社の19年の10月にチーフクリエイティブオフィサーに就任したので、ドラマ、アニメ、コミックに至るまで実質的に彼の監督下のもとにあることとなりました。

就任以降、実際のところコミックに彼が具体的に関わっているのかどうか、というのは自分は寡聞にして知らないんですけれども(誰がご存知であれば教えてほしい…)、上記のようなクレジットが初めてあった『ホークアイ』でキングピンの登場は非常に示唆的な感じがします。

 

ベストエピソードはケイトとエレーナが机を挟んで相対するシークエンスのある5話。21年の全エピソードでも屈指の出来ではなかったかと思います。もっと2人の掛け合いが見たい。

 

 

 

6. シャン・チー/テン・リングスの伝説

 

碇ゲンドウトニー・レオン……!(初見時の感想)

ゴルゴダオブジェクトっぽいとこが目標だし、何年も放っておいたのに突然呼びつけるし…。

 

非常にフレッシュな印象で、程よいコネクション、流麗なアクション、親しみやすいキャラクターと、今MCUに初めて触れようかと思っているけど何を観ていいのかわからないという人に勧めるなら『シャン・チー』かもしれない、と言えるほどには既に『アイアンマン』のような立ち位置にも入れられるフェーズ4のクラシック、というよう風格がある気がします。

 

個人的にクロエ・ジャオが『シャン・チー』をどう観たのかが気になる。彼女自身、祖国が中国ながらも現在の国の在り方にはラディカルに批判している移民でもあるので、その点からどう見えたのだろうか。

 

 

 

5. ファルコン・アンド・ウィンター・ソルジャー

 

 

『ワンダヴィジョン』『ホークアイ』に並ぶ、『エンドゲーム』は残ったものにとってはハッピー・エバー・アフターではないんだよ、という事を叩きつける三部作(勝手に命名)のひとつ。

「スティーブ、アベンジャーズ辞めるってよ」か?というように、中心的人物が不在の中で、その人物がいなくなった余波を描くシリーズで、なおかつキャプテンアメリカタイトルのキャラクター勢ぞろいなわけですから、そりゃハマらないわけがない。

主人公の主導権を奪い合うお話なんですよね。その中で、その主導権が血染めになること、そもそも主導権自体が一部の人にとっては不信の対象でもあったことに向き合い、新たな主導権に改良していく。アップグレードが最終的なキモになるというのが現代的でした。

 

最終話である6話は、市民の目やテレビカメラがある中でのヒーローアクションで、『スパイダーマン3』を彷彿とさせるのヒーローショー・シチュエーションで大満足。ウォーカーがヒーローとしての行動を見せるというのもいい。

一方で、パワーブローカーの正体がコミックでも存在感の高い彼女であったとか、フラッグスマッシャーズとは何だったのか……とか、肝心な部分が若干もにょもにょするところもあったので、ベストになるポテンシャルがあったのに……という落胆もあり、少し複雑な感情。

 

あとな~~~~、最終話のタイトルカードは「Captain America and White Wolf」にするべきだった。これは本当にいつまでも言う。

 

 

 

4. ホワット・イフ…?

オタク過ぎて良かった。

いや、アベンジャーズ殺人事件というテーマで一本の短編を作るにあたって、アベンジャーズメンバーがまだ結託してないけどほぼ同じタイミングで同じ場所にいるフューリーズ・ビッグウィークを題材にするの強すぎるだろ…。と唸ってしまった。マーベルワンショットやタイインコミックまで持ち出しながら1つの短編を編み出す脚本チームのオタク力に感服しました。

他のエピソードも勿論ちゃんとしてた。ドクターストレンジスプリームのエピソードは特に秀逸ですね。

 

こんなにオタクでいいですのん!?って毎週なってたなー。幸せな一週間のご褒美でした。

 

 

アニメーションのスタイルは、CGキャラクター、水彩画風な背景美術、そして作画風エフェクトと、様々なテクスチャのマテリアルが融合して映像を作りだしている感じ。CG主体だけど背景は一枚一枚手書きっぽいのは結構新鮮であった。

やはりどうしても実写俳優をベースにする必要があるのでどうにもだろうけど、キャラデザはもう少し垢抜けた方が、というか、もうちょいディフォルメ効かせててもよかったんじゃないかな、とは思わなくはない。とはいえ、アニメーションのMCUの可能性も示せていた(スタジオロゴやクレジットでの背景推しは、アニメにおいては映像の下地となるマテリアルを推す、というスタンスにも思えた)ので、良かったなと思います。

 

『ホワット・イフ…?』からアニメ企画にどんどん手を出すようにも思われますが、同じディズニー傘下ではルーカスフィルムが『スター・ウォーズ:ヴィジョンズ』やってるように日本のアニメスタジオが海外IPとコラボレーションする流れもあります。マーベルスタジオズにも同様のことを期待してしまいますが果たして…

 

 

 

3. ワンダヴィジョン

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オタクの気持ちをもっとも弄んだで賞

 

マーベルスタジオズのディズニー+第一回作品『ワンダヴィジョン』。色々愛憎入り混じったシリーズで、この作品の話題になると顔を曇らす人も少なくないのではないかとは思いますが…。

今回こうして自分が評価したいのは、『ワンダヴィジョン』はこのフォーマットでしか成し得ない作品になっている、という点です。

1話1話がそれぞれの年代のドラマのパロディになっていて、1話を経るごとに年代が更新され、現実に近づいていく。1話ごとのコンセプトがあり、しっかりと家でMCUを観る意味に対して極めて意識的。

 

MCUは映画史に残る作品ジャンルをモチーフに使用してコミックヒーロー映画を制作することでシネマティックの名を担保していましたが、ドラマの世界に本格参入するにあたり、ドラマ史を概観する必要があったわけです。

最終的にMCUの見慣れた映像に帰ってくるのは、現代やこれからのドラマ……大手映画会社が配信産業で映画と同じシリーズのドラマを直接発信する時代になったこと……その代表を受けて立つという一種の表明とも受け止められるのではないでしょうか。

 

また、ワンダの感情への向き合い方はやはり尋常ではなかったな、と思います。喪失への逃避先としての、慣れ親しんだ虚構の世界。

最終話での消えゆくヘックスを目前にした2人の会話は儚く美しいものでよかったなと。

 

 

 

2. スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム

試写会で観ました(最悪)。

これが最悪になるというのが最悪な状況なわけですが(配給は大いに反省してほしい…)、しかして作品は最高でした。

見てから数日間は「ありがろう」としか発話出来なかった、それぐらいには凄い作品です。

 

アヴィ・アラドへの賛辞もそうですが、マーベルスタジオズ=ケヴィン・ファイギの映画でありながら、ソニーピクチャーズの映画でもあり、スパイダーマン三部作の完結編でもあり、大人と子どもの対決であるジョン・ワッツの映画でもあった。これが凄い。『ファンタスティック・フォー』を任せたいと思うわけだ…。

自分はワッツのことをMCU監督の中でも一番うまい監督であるとは思っていて、『ホームカミング』や『ファー・フロム・ホーム』のような端正な演出が今回少なかったのは若干残念ではあるものの、彼の演出力はそれでも十分発揮されている。

表情を切り取るのが本当に上手いですよね…。今回、トム・ホランドの真剣な表情から、彼の言葉を聞いた彼の表情、クライマックスのストレンジなど、各役者のシリーズベストアクトではないか!?という表情をポンポン出してくる。寄りも引きも完璧なタイミングでやってくれるので…。

 

音楽、キャスト、ストーリーの素晴らしさは最早言うべきところがないのであれですが、ところで、公開前にこんな記事を書いていました。主に『ファー・フロム・ホーム』の感想記事ですが、スパイダーマンって色んな意味で大人の事情との戦いだったよね、ということを書いて『ノー・ウェイ・ホーム』がどうあるべきなのか、を書いています。『NWH』観た後に読むと結構我ながらええとこ突いとるやんけワレ、ってなったから是非読んでほしい。

 

sicrim.hatenablog.com

 

MCUスパイダーマンが徹頭徹尾「メタ・スパイダーマン」であったことは、『ノー・ウェイ・ホーム』の結末に見事に接続されていたなと。

MCUの三部作は、最終作で自分の要素捨てがち、という共通点があります。

スパイダーマン三部作の最終作は、彼の大きな構成要素であった既存MCUとの繋がりを断ちました。そして、スパイダーマンを通して「ヒーローは秘密主義」であるスパイダーマンとなる、というオリジンストーリーになった(オリジナルスーツ…!)わけです。感服ですよもう。

 

 

今作は北米の2021年12月17日公開から三週間遅れて年もまたいで2022年1月7日公開ですが、2021年に是が非でも公開すべきだっただろ、とこれは声を大にして言いたい。

マーベルスタジオズ初となる映画とディズニー+シリーズのリアルタイムでの繋がりという『ホークアイ』との連関もそうですが(これが台無しにされる可能性があったのでめちゃくちゃプンスカしていた…ある意味台無しっちゃ台無しですが…)、やはり「2021年」という年を締めくくるにふさわしい1作であったからです

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』から発する、『EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』『マトリックス レザレクションズ』といった、長い年月のなかで作品内外にあった様々な「何か」と集大成となる作品のなかで向き合った、2021年にみられた往年の大作シリーズの作品群。『ノー・ウェイ・ホーム』は間違いなくこれらのひとつとして数えられると思います。

 

 

 

 

 

 

1. エターナルズ

 

『エターナルズ』と『ノー・ウェイ・ホーム』は、正直なところこれも同率です。それでも『エターナルズ』を1位にしたかった…これに尽きます。

『ノー・ウェイ・ホーム』は、言ってしまえば過去の映画ですが、『エターナルズ』は未来の映画だな、と感じた、というのが主な要因。

 

確かに、『エターナルズ』は21年に発表されたMCU作品の中では最も穴の大きい作品であることは認めざるを得ません。情報開示の手順の煩雑さ、仲間にあうごとに説明事項が増えていくこと、回想パートと現代パートの配分ももう少しスマートに出来なかったものか、と思います。

今までの作品よりも、より切実にキャラクターの生に対してまなざしを向けているという点は評価できるでしょう。『ザ・ライダー』『ノマドランド』にも見られた俳優自身の経験をキャラクターに反映させる演出アプローチは今後の重要な演出手法のひとつになりそうな気もします。

 

何よりも、作家がマーベルスタジオズを超越する瞬間が『エターナルズには』あったように思います。そういった理由で、今作を観た直後は興奮に打ち震えました。これを許したこと、このアクセルを踏み切ったこと、その事実がこれまでになくエキサイティングでした。マーベルスタジオズ史上、最も作家の映画であったからです

 

 

様々な「接触」を示す作品でもありました。手がもたらすコミュニケーションは、人類とエターナルズのファーストコンタクト、マッカリの手話、イカリスとセルシの情交、そしてティアマトの停止のためのスーパーヒーロー着地へと繋がっています。

“出現”に際し、ティアマトの最初に出てくる部分が手(どこかフリクリ的…)であるというのもどこか示唆的です。

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例を見ないクリフハンガーの連続(ポストクレジットのエロースの登場は彼女の熱望であったらしい)を見せたのは、クロエ・ジャオという作家がMCUというフォーマットの中で果敢に自らの解釈をぶつけてきた結果であると感じました。ジャオほどの確固たるビジョンをもった映画作家が、簡単にスタジオの要求に流されるようには思えません。彼女自身が、続きものというストーリーテリングの様式を求めた結果ああなったのではないかと。

 

であれば、興行的に振るわなかったのは事実ではあるものの、彼女の思うように『エターナルズ』シリーズを完成させてほしいと強く望みます。多くのクリフハンガーを進んで投げかけたクロエ・ジャオが想定する通りの『エターナルズ』シリーズが結実するならば、それは他のサーガを圧倒するような空前絶後の一大抒情詩となる可能性を秘めているのではないでしょうか。是非、続編も彼女に任せてほしいと強く望みます。

 

 

 

 

 

 

 

総括:1 弱点

 

…多いですね!

いや、本当に多い。もう全部観ろなんておちおち言えないのが正直なところ。

それでいて各作品ともどんどんハイコンテクストな作風になっている。『エターナルズ』なんかは新作でありながらわからない所は調べてみてくれ!と迫るような雰囲気を若干感じたり。これに関しては、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でタランティーノが「わからない所も鑑賞前後で今やすぐ調べられるから」と語っていたり、現在の鑑賞スタイルがもう観客のリテラシーに大なり小なり依拠する方向に向かっているのかな、という気がしますね。

特にそれを顕著に感じたのが『ワンダヴィジョン』で、自分の身の回りでもわからない所をYouTubeの解説動画を見てスッキリさせていた、という人も少なくありませんでした。考察文化との相乗効果は今ならでは。特にリアルタイムに楽しむにあたっては、MCUはこの面非常に強い。

 

 

ディズニー+と考察文化が非常に合っている一方で、ディズニー+シリーズはどれもこれも共通した弱点がみられるような気もします。最終話が弱い、という問題です。

 

 

ストーリーアークを消化しないといけないと同時に、昨今のブロックバスターお決まりの第3幕でのVFXバトルもりもりが結果としてこの状況をもたらしていると言えます。このおかげで、テーマに対して答えるべき返答がしっかりと描写されず、ややぼやけてしまうことが多々あったのではないかと思います。最終話がみんな非常にせわしないんですよね。『ホークアイ』は特に顕著で、折角の登場が何だったのか的空気になったことは否めません。

『ロキ』はその点、5話をVFXの見せ場に設定したことで、それをかろうじて回避出来ていました。

最終話だけ特別に長くするか、もしくは話数自体をあと1、2話長くするか、でなんとか回避できそうな問題ではあると思うので、この点は後々改善されてほしい。

 

 

総括:2 ポストMCUとa Kevin Feige production

あとこう、もはや「ポストMCU」のMCUなんだな、という事を強く感じました。『ロキ』の設定そのものもそうですが、この1年非常にメタかった。スーパーパワーを得たモニカ・ランボウや、ティアマットを眠らせるセルシなど度重なるスーパーヒーロー着地の反復がもたらされ、『ノー・ウェイ・ホーム』はあそこまでやっちゃう。ポストMCUMCUにまで浸食するので、切り札切っちゃってるような気もして、今後の作風はどうなるんだろう?と思わされます。

 

 

ファイギを信奉するものとしては、a Kevin Feige productionというクレジットが、これからのMCUを暗示させるなと思います。

やはりこれからはマルチバースに移行していくものと思われますが、もはやカノンなどない、という意識はあるといいのかもしれないなと。

というのも、インフィニティ・サーガまではどうしてもマーベルスタジオズのコンテンツ=神聖時間軸、であったわけですよ。なので、『エージェント・オブ・シールド』や『ディフェンダーズ』は『エンドゲーム』には登場せず、彼が関わっていた『エージェント・カーター』のジャーヴィスのみが登場した。

しかし、19年の10月を境に、ファイギはマーベル全体のクリエイティブ面を監督出来る立場になった。ゆえに全てに対してファイギが関われるようになり、彼が全てを調整できるようになったために、MCUがマーベルスタジオズだけでなく、より広範に解放される。制作体制や人事も含めて、フェーズ4以降のクリエイティブはあるのではないかな、と思います(最早Netflixタイトルはおろか、『スパイダーマン』(2002-2007)三部作、『アメイジングスパイダーマン』二部作、そしてあの作品もMCUと言えるので)。

インフィニティ・サーガがマーベルスタジオズ謹製のお祭りであったとするならば、最早神聖時間軸などない、これからのフェーズは、更にマルチメディアに、垣根を越えた広範的なものになるのではないでしょうか。

 

 

総括:3

あとはこれは寝言ですが、「なんかこの1年めっちゃエヴァに寄ったな…」と思いました。2021年はシン・エヴァイヤーだったので頭ん中がエヴァエヴァだったというのもあるのかもしれませんが、『ワンダヴィジョン』からいわゆる「エヴァっぽい」描写が頻出していたように思います。

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『ロキ』には過去作の映像がスクリーンに投影されるし、

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『シャン・チー』のウェンウーはゲンドウだし、『エターナルズ』はアンチA.T.フィールドとか巨大綾波とか…だし…。

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『エターナルズ』のクロエ・ジャオは霊丸オマージュをもろにぶち込んで来たのでEOEとか普通好きそうだしであれですが、やはり同じ年という時代性もあり、どうしても共通点を見出してしまうのは悲しいサガ。

 

そう思うと、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』と『ノー・ウェイ・ホーム』は子どもから大人へのイニシエーションとして、自らの起こしたことへの責任と向き合う、という類似したテーマを取り扱ってもいます。シンジとピーターの決意とその着地点もどことなく符号しているかのように思いました。やはり、『ノー・ウェイ・ホーム』は2021年に公開すべきであった……と強く思わざるを得ません。

 

 

 

『ワンダヴィジョン』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版』にはどちらもPanasonicのTOUGH BOOKが出てくるんですよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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しかもどちらも宇宙探査用の機材を流用しているシーン

 

ま、本当に寝言ですが、2021年は、そういう点でもMCUは楽しかったな~という話でした。

 

あと。『The Story of Marvel Studios』は買いましょう。おすすめです。

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ラクタで作ったスーツから、世界創生以前にあった6つの特異点の力が得られるガントレットまでを表紙とした『The Story of Marvel Studios』。マーベルスタジオズのものづくりの精神性そのものだけでなく、彼らが紡いだインフィニティ・サーガという物語が、「ここまで来てるよ、ユイさん!」な話であることを雄弁に語ります