Endgame Study 15: やさしい映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Vol.2』
Endgame Study 15
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Vol.2』
まずはじめに、タイトルは『Vol.2』にさせていただいた。
最初に邦題が『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』になると聞いたとき、1作目にディレクターズカットが続編に先駆けて公開されるのかと思った。同じような勘違いをした人もいるんじゃないだろうか。いずれ来る『Vol.3』の邦題の事をまったく考えていなさそうな某社のその場しのぎな自転車操業的体質も含めて、やっぱり『リミックス』という題名はあまり好きではない。
『Vol.2』はプロットラインの無い映画だ。前作はオーブというマクガフィンを巡っての攻防が繰り広げられたが、今回は登場人物の明確な目的が第三幕で初めて設定される。盤石な作品づくりを執拗に心がけてきたマーベルスタジオズにとって、なかなか珍しい作品であるように思う。このプロットに沿わないつくりに、逆にろくでもない彼らのドタバタ感が知ってか知らずか演出されている。MCUの常識に囚われぬつくりといえば、真っ黒な文字ではない、ポップに彩られ、そしてファンが大好きなポストクレジットシーン(ミッド・クレジットシーンと呼ぶべきか?)がいくつも挿入されるエンドクレジットにもそれが現れている。
『GotG』で世界を救ったこの愚か者の集団は銀河中に英雄として名を知らしめたが、オープニングではそれから半年経っても結局なにも変わらずバカのまんまで安心した自分がいる。
『GotG』のキャラクターはとにかく感情をスクリーン中に剥き出しにする。
それがプロットラインの無い今作にとって、物語を推し進めるエンジンとなる。登場人物は感情で動き、感情に揺り動かされる。そんな作品で初登場を飾るのが人の感情を接触することによって感じるマンティスだ。
そして、今作には最も愛すべきオープニングも最も悲しい別れもある。MCU史上最も“エモい”映画だと思う。(この文言前にも使った気がするな……)
しかし、ギャグのクセが強いんじゃあ!ってなる映画だなと思う。テイザーフェイスのギャグめっちゃ引っ張るやん。
あと、『GotGVol.2』にはMCUで初めて地球が出てこない作品を期待していたのだが、1970年やエゴの花の発動で地球が映って若干ガッカリした記憶がある。MCUは地球を軸とすることこそが人気の理由のひとつであるようにも思うが、ゲームチェンジャーとしてファイギも強い信頼を置くこのシリーズにはこの点を期待していた。おそらく『エターナルズ』が初めて宇宙のみで展開される作品になるだろう。
この映画のてんこ盛り具合はすさまじい。正直ちょっと胸焼けを覚えるレベル。おばあちゃんが出してくるお菓子みたいな映画だ。そしてそのお菓子はブルボンではなく色彩がドギツイものになっている。そして、ガンの優しい視点がある。ガンの手を離れルッソが演出する彼らがどうなるかちょっと不安だったが、ガンがちゃっかり手を入れたので杞憂だった。『エンドゲーム』で残されたロケットとネビュラのことを思うと胸が痛くなる。
ところで、スタローン演じるスタカーが『エンドゲーム』に登場したら100㌫卒倒する自身がある。そんなサプライズに満ちていてほしいと強く願う。