Endgame Study 12: ワンダーさとミニマルさ『アントマン』
Endgame Study 13
『アントマン』
MCUがまだ影も形もなかった2006年に『アントマン』の製作はスタートしていた。監督は『ショーン・オブ・ザ・デッド』のエドガー・ライト。彼は2014年5月までマーベルと共に長い間仕事をしていたが、撮影入り前に「創作面の相違」を理由に降板した。彼の執筆した脚本はジョス・ウェドンからは「マーベル映画最高の脚本だった」と絶賛された。脚本家として名高いウェドンからかくも絶賛されるほどの出来とは、相当なものだったのだろう。彼の脚本が日の目を浴びることがないのは残念でならない。なお、ライトはクレジットとしては残っている。
これまで順風満帆だったマーベルも、『アントマン』でいよいよ受難の時を迎えるものだとその時誰もが思っていた。
しかし、それは杞憂に終わった、ご存知の通りに。
ライト降板の翌月に起用されたペイトン・リードは、『アントマン』を見事にまとめあげた。
おそらく『アントマン』はMCU史上もっとも職人色の強い作品だろう。今作には観客が求めていたものがふんだんにある。アベンジャーズのテーマからエンドクレジット後に至るまで。
『アントマン』の楽しさはその映像表現のワンダーに溢れたところにある。大きくなったり小さくなったり、思いもよらない日常の風景の視点が変わる。アントマンの特性に由来するものが、作品そのものの魅力につながっていて、基本的だがそこが踏まえられているからこそ良い。最終決戦が子供部屋というのも遊び心が溢れている。
『アントマン』の前任者であるエドガー・ライトの魂もそこかしこに依然として残っている(と思う)。
代表的なものではこの瞬間だ。
銃身をかけ走るアントマン。このアイデアは2012年にSDCCで公開されたエドガー・ライトが製作したテスト映像から見られる(リーク映像がアップされているが、公式では『マーベル・スタジオの世界』というドキュメンタリーで視聴可能。Huluにて配信されていたが現在は配信終了。)。
で、エドガー・ライトは鶴巻和哉監督の伝説のOVA『フリクリ』がどうも好きらしく、
@Oddernod Indeed @radiomaru turned on me and my brother onto FLCL. Its amazing and was a big influence.
— edgarwright (@edgarwright) August 21, 2010
https://twitter.com/edgarwright/status/21771877267
このシーンは『フリクリ』第5話「ブラブレ」の1カットに酷似している。
So I watched the latest Civil War trailer, and I couldn't unsee FLCL during antman and Hawkeye's sequence..... pic.twitter.com/Z74agGAHmL
— Kevin Hong (@Taijuey) March 11, 2016
このようなアントマン(とワスプ)のアクションはライトの関わっていない『シビル・ウォー』や『アントマン&ワスプ』にも見られるわけだが───特に上記の引用させていただいたツイートの画像にある『シビル・ウォー』のアイアンマンに飛び乗るアントマンは『アントマン』以上に酷似している───ペイトン・リードやルッソ兄弟もライトと同じく『フリクリ』を敬愛しているのかはわからない。ただ、知らぬところでこのような映画史が展開され、作家のDNAが脈々と継承されているのは興味深い。
『アントマン』はアベンジャーズタイトルの後に来る。この点はMCU全体をはかる上で外せない。大いなる戦いの後に展開される前科持ちのおっさんとその家庭の小さなおはなし。このバランス感覚がシリーズ全体をより豊かにし、幅広い層に親しみを与える。『アントマン&ワスプ』においては「アベンジャーズの後にスコットが来る意味」がより強固に語られたと自分は思っている。
そして、『アントマン』はMCU恒例の父と子の物語でもある。ただ、他と違うのは他のヒーローが子であるのに対し、スコットもハンクも父である点だ。彼らは娘に嫌われたくない、という意思で行動している。この点がおもしろい。
『アントマン』は最小かつ驚きに満ちたタイトルだった。ペイトン・リードの舵取りは『アントマン&ワスプ』のドタバタ劇で更にヒートアップする。これも自分は大好きなのだが、エドガー・ライトが演出する彼らもまた観たかったのは否定できない。MCUは成功し続けているが、どうしても影はある。そんな明と暗を感じながらも楽しめる作品を仕上げてきたのは、やはりマーベルスタジオズのすごい所だと思う。