アンティバース、アウターリム

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Endgame Study 05:我らのアイドル『キャプテン・アメリカ/ ザ・ファースト・アベンジャー』

Endgame Study 05

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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キャプテン・アメリカ/ ザ・ファースト・アベンジャー』

 

 

 

 

やっぱりキャップが一番好き。

というわけで5日目、『キャプテン・アメリカ/ ザ・ファースト・アベンジャー』(以下、『CAFA』)である。いよいよフェーズ1も佳境に迫ってきた。

次はいよいよ『アベンジャーズ』だが、そういやフェーズのフィナーレの直前作が過去編というのは『キャプテン・マーベル』も踏襲してるんだなぁ。

 

ただ、『キャプテン・マーベル』と共通しているのはそれだけではない。

 

『アイアンマン』『マイティ・ソー』が主人公がどんなキャラクター(=ヒーロー)になっていくのかという見せ方をしていたのに対し、『CAFA』は主人公がどんなキャラクターなのかを見せていくようなアプローチになっていて、観客にスティーブを好きになってもらいたいというお気持ちをひしひしと感じる。

咄嗟に手りゅう弾に我が身で覆いかぶさるのはまさにキャプテン・アメリカになるべくしてなった説得力がある。

『ハルク』のブロンスキーや、それこそ今作のレッドスカルなど、超人血清やそれに近しいものからパワーを得た存在は、やがて精神に異常を来しその力に溺れていくのだが、スティーブは力を得る前から、そして後も、彼のままである。彼が特別なのは血清のおかげでも盾のためでめない。高潔な精神が特別たらしめているのだ。

 

スティーブ・ロジャースの人となりを語る『CAFA』は、同時にキャプテン・アメリカの持つ“アイドル性”を強調する。

アースキン博士を失ったことで唯一の超人兵士になってしまったスティーブは、アメリカの戦意高揚のマスコットとして祭り上げられる。

 

この各地のドサ回りパートはどこか可笑しくて、心が温まり、そして戦地で戦いたいスティーブにとっては皮肉的でもある。

キャプテン・アメリカ”というキャラクターはコミックとなり、戦地の兵士が彼の“物語”を楽しみ、プロパガンダ映画も人々に楽しまれ……。このモンタージュは、“キャプテン・アメリカ”という象徴が作られる過程が表されている。

 

 

そこから彼はヒドラに囚われていたバッキ―達の部隊を単身で救い、真にアメリカのヒーローとしてその名声を高めていく。SSRでも正式にキャップを中心とする作戦チームが編成され、本格的に“スーパー・ソルジャー”キャプテン・アメリカとして前線で活躍する。

遂にあの象徴的なカラーリングのシールドとコスチュームを纏った彼の活躍は、またしてもプロパガンダソングの時と同様にモンタージュで語られる。

数少ないアクションの見せ場なのにダイジェストでなんて地味だ……と思っていたが、それでもどうしてこのモンタージュに心を揺さぶられるのか、そして何故ダイジェストのようにすることにしたのか、それは「広告塔としての“キャプテン”」のモンタージュへの対比としてシンボルを身を纏い戦う「真なるヒーローとしてのキャプテン」を同じモンタージュで語らねばならなかったからなのではないだろうか。

 

ただ、スティーブも広告塔としてのキャプテンはあまり嫌いではなかったようなのが、彼自身が戦闘服用にデザインしたスーツの星条旗からうかがえる。*1

象徴としてのヒーローを一身に引き受けるのもまた彼の持つヒーロー性でもある。

 

そして、この物語は彼の自己犠牲でいったん幕を閉じる。第二次世界大戦キャプテン・アメリカは、星条旗を背負って敵の戦闘機を止める為に自らとともに北極の海に墜落したことで完結した。

 

しかし、彼は甦る。

 

ナチス、超人兵士、四次元キューブ、第二次世界大戦、そして70年の時を経た復活。レトロフューチャーなこの物語の最後のセリフが「ダンスの約束が」というのが泣ける。

 

結局、ダンスの約束は果たされずに終わった。この後悔は彼をいまだ苦しめている。

 

 

*1:キャプテン・アメリカのコスチュームについて、先日Twitterで翻訳家・ライターの光岡ミツ子さんがマーベルスタジオズのビジュアル・デベロップメントのヘッドであるライアン・マイナーディング氏の素晴らしいインタビューを紹介されていたのでここでも掲載したい。https://twitter.com/mitsumitz/status/1109443625962737667